桃屋・三木のり平と、オロナミンC・大村崑の「鼻メガネ」関係の結末

ご存じ桃屋の「のり平」は、多くの人々に愛されるキャラクターです。このキャラクターのモデルは、実は喜劇役者の三木のり平さんであり、桃屋の新聞広告から始まった彼らの関係は、時代を超えて多くの人々に語り継がれています。1953年、三木のり平さんが提案した自身の似顔絵を使用したシャレた広告は、「のり平漫筆」として大きな評価を受けました。

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大村崑と三木のり平:鼻メガネを巡る友情とライバル関係

大村崑さんと三木のり平さんは、鼻メガネをトレードマークとすることにより、特別な絆で結ばれていました。三木のり平さんが既に桃屋の江戸むらさきのCMで鼻メガネのキャラクターを務めていた頃、大村崑さんはこのトレードマークによりオロナミンCのCMでブレイクすることになります。二人の間では「メガネでおまえに負けた」という事件もありましたが、これは彼らの強い友情を示すエピソードとして後世に語り継がれています。

「メガネでおまえに負けた」事件

大村崑さんと三木のり平さんの間で起きた「メガネでおまえに負けた」というエピソードは、両者の間にあった友情とプロフェッショナルな競争、さらには誤解と和解を描いた興味深いお話です。

この事件の発端は、ある日、大阪での公演が終わった後、三木のり平さんが大村崑さんを一杯飲みに誘ったことにありました。二人が立派な料亭にいたとき、遅れて到着した芸者が間違えて大村崑さんのことを「崑ちゃん」と呼んだことがきっかけでした。三木のり平さんは、自分が大村崑さんと間違えられたことに非常に驚き、激しい反応を示し、テーブルをひっくり返してしまいました。その後、慌てた大村崑さんが三木のり平さんを追いかけて事なきを得ました。

この出来事後、大村崑さんは菓子折りを持って三木のり平さんの家を訪ね、謝罪しました。しかし、三木のり平さんは「テメエが悪いんじゃねえや。芸者が間違えたんだから」と言いつつも、「俺は金輪際、メガネをかけない。崑ちゃんと間違えられるってことは、俺はお主に負けたんだから」と明かしました。そして、「テレビでもドラマでもメガネはかけない。これからはメガネをかけない三木のり平を見てくれ。君はメガネでいけ」と大村崑さんに言い、「メガネの芸」を譲る形となりました。

このエピソードは、芸能人としてのアイデンティティ、友情、そして公の場での身の振り方に関する彼らなりの考えを示しています。最終的には、三木のり平さんが自身のトレードマークであった「メガネ」を大村崑さんに譲る形で解決し、二人の間には再び和解と理解がもたらされました。この物語は、彼らの人間性と、芸能界における互いへの尊敬を伺わせるものです。

互いの尊敬と誤解:芸者の間違いから生まれた変化

この大阪での公演後に生じた、芸者が大村崑さんと三木のり平さんを間違える事件は、彼らの関係において重要な転機となりました。これにより、三木のり平さんは、メガネをかける役を捨てる決意をします。この意外な転機は、芸能界での互いの位置づけや認識に大きな影響を及ぼしましたが、実はこれが二人の間での尊敬と理解を深めるきっかけともなりました。

桃屋の「のり平」としての不変の存在

三木のり平さんが1999年に世を去った後も、「のり平」キャラクターは桃屋の象徴として色褪せることなく、現代においてもその愛される姿を保ち続けています。三木のり平さん自身が、桃屋のCMに対して特別な愛着を持っていたように、多くの人々もまた、このキャラクターを通じて彼の魅力を感じ取っています。

結論:時代を超えた絆

三木のり平さんと大村崑さん、そして桃屋との関係は、単なる商業的なパートナーシップ以上のものでした。彼らの関係は、友情、ライバル意識、尊敬という人間の基本的な感情に基づいており、その絆は多くの人々に影響を与え続けています。桃屋の「のり平」キャラクターは、これらすべての物語を包括する象徴として、未来に向かってもその価値を保ち続けるでしょう。

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